海部俊樹元首相へモンゴルから感謝の声

2022年1月14日、海部俊樹元首相が逝去されたという報道がありました。91歳でした。Facebookを眺めていたら、多くのモンゴル人が「海部首相、モンゴルが困っていたときに助けてくれてありがとうございました」と感謝を述べていて、海部元首相とモンゴルの関係の深さを感じました。

海部元首相の首相在任期間は1989年〜1991年。まさにモンゴルが民主化に移行する時期と重なります。これより以前に日本とモンゴルは外交関係を樹立していたものの、それぞれ民主主義国と社会主義国という立場だったこともあり、外交関係はそれほど活発ではなかったそうです。

1990年3月、モンゴルで民主化運動が起こる直前に、モンゴル人民共和国のソドノム首相(閣僚会議議長)が先進国のなかで日本を最初に公式訪問し、海部首相と会談して両国政府間の貿易協定を結びました。

1991年8月、今度は海部首相が西側諸国で初めてモンゴルを公式訪問し、「日本はモンゴルの民主主義と政治的・経済的改革を支援します。日本だけではなく、国際的にモンゴルを支援するシステムをつくります」といった内容を述べたそうです。そして以下のように実施されてきました(駐日モンゴル大使館HP参照)。

  • 日本政府は政府開発援助(ODA)対象国にモンゴルを含め、二国間の枠組みで支援を行うほか、1991年以降世界銀行と共に「モンゴル支援国会合」を東京で10回開催しました。

  • 日本は1991年、1992年、1993年のG7サミットの最終文書に、政治と経済におけるモンゴルの民主主義促進に関する項目を反映させました。

  • モンゴルをCOCOM規制からの除外し、アジア開発銀行・世界銀行・国際通貨基金・世界貿易機関への加盟を支持しました。

  • モンゴル国がASEM・ARF・PECC(太平洋経済協力会議)に加盟し、APEC第4作業部会にオブザーバー参加する際に支持しました。

  • モンゴル国がERIA(東アジア・アセアン研究センター)に参加し、さらに加盟する際に支援しています。

  • そこから日本政府のODA(政府開発援助)がスタートし、モンゴルにおける病院、通信、発電所、道路、鉄道、教育、裁判所、警察、カシミアなどの産業育成、文化、科学など多方面で支援をしてきました。

1991年に海部首相がモンゴルを訪れた際、当時のオチルバト首相から馬を贈られたという有名なエピソードがあります。ナーダムで優勝した立派な馬だったそうですが、日本へ連れて帰れないので、手綱だけを持ち帰ったそうです。「若々しい馬の姿を見たときに、未来のモンゴルを想い、いたく感激したものです」と海部首相はのちに述べています。

「モンゴルは親日国」だとよく聞きますが、そのようになった大きな理由のひとつは、民主化直後の混乱した苦しい時期に、日本が積極的に援助の手を差し伸べたことをモンゴル人が忘れていないからだと言います。清水武則大使と海部元首相の対談のなかで、清水大使がそのことに触れていらっしゃいます。

なお本記事冒頭の写真は、1991年に海部首相がモンゴルを初訪問したときのものです。私がお世話になっている花田麿公元大使よりお借りしました。当時モンゴルで現場にいらした花田大使は、1991年、つまり天安門事件直後に海部首相が北京を経由してモンゴルを訪問したことは、決して簡単なことではなかったとおっしゃっています。西欧諸国が、天安門事件を起こした中国への訪問を取りやめていたからです。

海部元首相のご冥福を心よりお祈りいたします。

花田麿公元大使がモンゴルを語る