このサイトでは、モンゴルに関する情報、現地で見聞きしたしきたり、遊牧民の暮らしの知恵など、日本人の私がカルチャーショックを受けたモンゴルのもろもろを書いています。私自身は東京で活動しているフリーランス11年目の書籍編集者・ライターで、モンゴルへは毎年行くものの現地で留学や就職したことはありません。
メディアでは「月刊望星」でモンゴル関連のエッセイを4年前から毎月連載しています。他に不定期でモンゴルの「デファクト・ガゼット新聞(日本語版)」や日本の新聞・雑誌に寄稿しています。
大西夏奈子(onishi kanako)

ノモンハン事件の現場へ行く途中、草原で出会ったロシア兵と少女(2019年8月撮影)
なんでモンゴル?
私がモンゴルと出会ったのは、東京外国語大学モンゴル語学科に入学したのがきっかけです。でもどうしてそこに入ったのかは自分でもわかりません。
大学1年生の夏休み、モンゴルに初めて1ヶ月滞在しました。首都ウランバートルは今と違い、放牧中の牛が迷いこんできたりしてのどかでした。そのとき知り合ったゲル地区に暮らす女の子(ロシアとモンゴルのハーフ)と家族ぐるみで仲良くなり、彼女の家に居候させてもらったり、翌年夏はその一家の里帰りに同行してゴビアルタイ県の遊牧民と過ごしたりしました。強烈な体験でした。
しかし当時の私は世界の他の民族とも交流してみたくて、大学3年生のとき休学し、モンゴルではなくカナダのトロントで9ヶ月間暮らしました。
モンゴルに再び通うようになったきっかけは2011年の東北大震災。モンゴル人が毛布や手袋を飛行機に乗せて日本へ届けてくれたこと、モンゴルの国家公務員が1日分の給料を寄付してくれたことを知り、心が熱くなりました。
そして同年5月、毎日新聞にスクープ記事が。日米両政府が原発から出る核廃棄物の処理場をモンゴルの草原につくる計画を進めているという内容でした。モンゴルの友人から「怖いよ、どこに捨てるの」と連絡が来たものの、ネットで探しても情報がほとんどありません。私は広島生まれで核にもともと関心があったのに、何も知らなかったことがショックでした。
かつて一度は関わりのあったモンゴルが急に気になり出し、もっと知りたい!、現地で見聞きしたことを日本で発信したい!という思いが奥底からわきあがり、うずうずしました。
とはいえ学生時代にちゃんと勉強しなかったので、私はモンゴル語が下手で知識もありません。そこでモンゴル人と知り合って教えてもらおうと、東京の道端でモンゴル人っぽい雰囲気の人を見たら、追いかけて「サインバインノー?(こんにちは)」と話しかけるようになりました。サングラスをかけ、タトゥーがあり、胸板が厚く、野生をみなぎらせて歩いている人がいたら、モンゴル人である可能性が高いです。
気づけばこれまで千人以上のモンゴル人と出会い、お酒を一緒に飲み、会話してきました。この中には南モンゴル(内モンゴル)人も含まれます。彼ら一人ひとりの性格は違いますが、総じて明るく陽気で愛情深く、細かいことを気にしません。飲んで歌って踊って笑って、カッと燃えて感情的になってもすぐ忘れます。ひとことで言えばラテン気質だと思います。
おおらかだけど激しく、飄々としてそっけなく感じるけれど困っている人がいれば手を差しのべる。大自然にひそむ目に見えない神さまを敬い(日本の八百万の神に通じるものがあります)、日常の中でしきたりを丁寧に守るところにも惹かれます。
自由を愛する人びと
東京から首都ウランバートルまで直行便で5時間ほど。すぐそばにある国なのに、日本で得られるモンゴルの情報は多くありません。近いけれどよくわからない、遠いようで身近に感じるモンゴルについて、自分が見たこと聞いたことを発信していきます。

鉄道から見たゲル地区(2012年1月撮影)