カザフ民族が人口の9割 バヤンウルギーという別世界

モンゴル西端のバヤンウルギー県を初めて訪れました。ウランバートルからの往路はバスで。乗客の半分がカザフの方々でした。

彼女たちは頭にスカーフを巻き、話す言葉もカザフの言葉。何を言っているか、さっぱりわかりません。バヤンウルギーの人口は約12万人で、その9割以上がカザフ民族。モンゴルという国にある一つの県なのに、驚きです。

県庁所在地ウルギー市にあるトルコ料理店。

足元はトルコのタイル。広い店内はにぎわっていました。

ウルギー市の中心にある広場。ウランバートル市のスフバートル広場につくりが似ていますが、サイズはウルギーの方が小さく、人通りも少なめです。

広場のそばで書店の看板を発見。今年夏に開店したばかりで、カザフ語の児童書や伝記本などが並んでいました。オーナーの女性はカザフスタンから本を仕入れており、今後はモンゴル語の本のラインナップも充実させたいとのこと。

中心部からやや外れたところにある市役所から。

実は今回、写真家のインジナーシがモビコムの仕事でウルギーの第二学校を撮影することになり、私も同行させてもらいました(この数日後、モビコムが大きなニュースになるわけですが、まだ不確かな情報も多く、何が本当のことなのか憶測しかできないため、ここでは触れません)。

元気な子どもたち。午前中は低学年の授業、午後は高学年の授業というふうに、時間制で生徒たちが交代します。ちょうど入れ替わりのタイミングで、校舎の外で生徒がワイワイ。生徒は5歳から17歳までで、全校で2800人いるそうです。

スポーツウェアを着た低学年の子どもたち。

低学年の身体計測。年に2回測るそうです。カザフの子とモンゴルの子の割合は半々でした。

生徒たちの民族構成は、主にカザフ、モンゴル(少数民族ウリヤンハイの子も、ハルハの子も)。バヤンウルギーの他の学校では、1年生はカザフ語で授業を行うそうですが、この第二学校は唯一、1年生からモンゴル語で授業を行うのが特徴。将来ウランバートルで進学したり就職したりする場合、モンゴル語をしっかり取得しないとハンディキャップになるのです。

私が学校を歩いていると、子どもたちが宇宙人を見るかのような眼差しで集まってきて、「中国人!? 韓国人!?」とはしゃぎます。この土地はカザフ民族の鷹匠文化が有名で、外国人観光客は珍しくないのに、なぜこんなに騒ぐのかが最後まで謎でした。

高学年の生徒が自分のロッカーに好きな絵を描いているところ。先生も公認していて、校風は自由。

別のロッカーもカラフル!

カーテンの色もきれい。

教師たちをお祝いする祭りの準備で、音楽の練習をする子どもたち。

モンゴルの伝統楽器である馬頭琴や琴に加え、カザフの弦楽器を奏でる子も。

お世話になったカザフの先生。モンゴル語がペラペラなので、問題なく会話できました。

女の子が踊りを練習中。

子どもたちの日常風景を撮影するインジナーシ。

今回はカザフとウリヤンハイの女の子たちに1日ずつ密着し、彼女たちの学校生活や、家族と過ごす光景を撮りました。

なぜモビコムの仕事で学校を撮影するのかというと、社会貢献事業の一環で、モビコムがモンゴル全土のいくつかの学校にコンピュータールームをつくっており、そこで学ぶ生徒たちの日常を撮影するためでした。

インジナーシが所属するモンゴルの写真家集団ガンマ・エージェンシーは、間もなく創立30周年を迎えます。そのガンマに所属する写真家たちが、それぞれ担当を決め、7つの県へ撮影に出かけました。その1つがバヤンウルギーの第二学校でした。

家庭訪問で見せてもらったウリヤンハイの伝統的なおもちゃで、すべて手づくり。手元に集めた動物の組み合わせによって勝敗が決まり、正月などに家族でよく遊ぶそうです。日本でいうと、かるた遊びのような感覚でしょうか。

同じ家庭にあったモンゴルのおもちゃ。トランプのような、ドンジャラのような……こちらも絵の組み合わせによって、加算されるポイントが変わります。札を重ねることを「ゲルを建てる」と表現していて、ビギナーズラックで私のポイントが最高点になり、「おめでとう!良いゲルが建てられたね!」と言われました。

第二学校の横で遊ぶ、まだ入学年齢に満たない子どもたち。

街を歩いていたら、近くにある第一学校の生徒たちと遭遇。彼女たちはカザフ語で話していました。

この像は「モンゴル人民革命の父」スフバートル。ウランバートル市の広場中央に像がある、彼です。

ザハ(市場)も面白かったです。カザフの帽子やストールを売っているお店。

カザフ独特の模様がいっぱい。

アーロール(遊牧民が家庭でつくるチーズ)の山。

市役所のそばにある建物。タイヤでつくったのは、置物なのか、遊具なのか。

私にとってバヤンウルギーは、モンゴルとは違う外国に来たかのようで、とにかく新鮮でした。子どもたちが積極的に話しかけてくることも、この土地を好きになった理由だと思います。

しかし「異国みたいで楽しい」と無邪気に言えるのは、私が「本当の外国人」だからなのだと後で気づきました。なぜモンゴル(の端っこ)で、カザフ民族が9割以上も暮らしているのか?

簡単にいうと、歴史的にこのあたりはカザフの遊牧民が暮らすエリアでした(今でいう、カザフスタン、中国・新疆ウイグル自治区、ロシア・アルタイ地方、モンゴル西部のあたり)。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロシア帝国の政治的な圧力から逃れるため、カザフの人びとがバヤンウルギー付近に移住してきて、1940年にモンゴル政府がバヤンウルギー県を設置。モンゴルの西端にカザフ民族がまとまって暮らすことは、国境を防衛するという意味で、モンゴル政府にとってもメリットがあったのです。

ウランバートルから遠く離れているバヤンウルギーは、私が街を歩きながら驚いたように、今でもカザフ民族の文化が色濃く残る土地。モンゴル語を話せない人も珍しくなく、宗教はイスラム教スンニ派です。

ここは「ザイサンの丘」と呼ばれる山の上。

石やレンガを積み上げた壁が多いのも、街並みの特徴でした。「石づくりの壁はカザフ文化ですか?」と私がカザフ人に尋ねると、「ここは木が生えていなくて、でも石はよくとれるから、そうするしかない」との回答でした。

写真に写りきらなかったところに墓地があり(イスラム教なので土葬だと思います)、なんとなくインパクトが。また、かつてバヤンウルギー県のカザフ民族に独立したいという気運が高まり、モンゴル政府からは当然反対され、問題になったこともあったそうです。

モンゴルの民族問題というと、私はまず中国・内モンゴル自治区にいるモンゴル民族のことを思い出します。内モンゴル自治区の言語政策について、モンゴル人の立場になって考えると、学校で子どもたちが母語で教育を受けられるようにしてほしい、モンゴル民族らしく生きてほしい、と望みたくなります。

同じ考え方をすると、バヤンウルギー県にいるカザフ民族も、カザフ語で教育を受け、カザフ文化を受け継いでいけるようにしてほしいとなりますが、このバランスが非常に難しいと感じます。なお、一つ興味深いのは、学校や職場では民族が入り混じっているものの、結婚するときはウリヤンハイ民族同士、カザフ民族同士が多いそうです(つまり「国際結婚」は少ない)。

もちろん、内モンゴル自治区のモンゴル民族と、バヤンウルギー県のカザフ民族は、現状に至るまでの歴史的経緯も政府の政策も異なり、単純に比較はできません。民族問題は、どの民族の立場で見るかによって、考えることも感情もガラリと変わりますよね。日本国内でも移民問題が話題になる機会が増えていますが、「みんなで仲良く」というきれいごとでは現場は収まらず、本当に複雑で厳しいテーマだと思います。

希望があるとすれば、こうして他国に存在する民族問題を知ることで(良い面も悪い面も)、日本国内の民族問題を建設的に考えるためのヒントになるかもしれないこと。このテーマは、日本でも今後ますます直面せざるを得ず、向き合っていかなければいけません。

次回またバヤンウルギーを訪れるなら、遊牧民の家庭にもおじゃましたいですし、バヤンウルギーの「マイノリティ」であるモンゴル民族の話も聞いてみたいです。