遊牧民だったソソルフー君

Print Friendly, PDF & Email

私が相撲に興味をもつようになったのは、あるモンゴルの遊牧民少年との出会いがきっかけだった。

3年前の夏、「わんぱく相撲全国大会」の実行委員会の方と縁ができ、大会を見学させてもらえることになった。都道府県大会を勝ち抜いてきた小学4、5、6年生の子ども力士にくわえ、モンゴルからも各学年1人ずつの代表選手が来るという。舞台はもちろん両国国技館だ。

大会本番前日の朝、開会式リハーサルがおこなわれていた国技館に足を踏み入れると、わんぱく横綱の座をねらう子どもたちの熱気と親たちの気迫が満ちていた。華奢な子、おとな顔負けの巨体をもつ子、小学生といってもいろいろだ。空きスペースでしこを踏んだり、雄たけびをあげたり、大会に賭ける思いが伝わってくる。

ところで、リハーサル開始後もモンゴルチームの姿が見あたらない。大会実行委員の方にたずねると「まだ来ていないんですよ。連絡もとれなくて……」という。さらに「通訳をしてくれる予定だったモンゴル人が急に来られなくなったみたいで……。代わりにやってくれませんか?」と頼まれ、大会最中モンゴルチームに同行することになった。

1時間ほどしてモンゴルチームと電話がつながり、「いまスカイツリーの展望台にいる」と聞いて絶句。ショッピングの紙袋を手にさげた彼らが国技館へ到着したとき、リハーサルはもう終わっていた。

モンゴルでの予選大会を勝ち抜いてきた子どもたちは、小さくて色の白い4年生のビルグーネー君、小さくて色の黒い5年生のソミヤバザル君、すらっと背が高く色が白い6年生のソソルフー君。3人とも、首都ウランバートルから約640キロメートル離れたバヤンホンゴル県の村にある、モンゴル総合生協小学校の生徒だった。大分県の労働者総合生協が、20周年記念事業で寄付をして建てたこの小学校は、2006年に開校。大分県との交流活動も毎年おこなっている。

監督として一緒に来日したガンホヤグ先生は、同小学校で体育を指導する男性教師(当時37歳)。日本の援助でできた学校なので、なにか日本らしいことを子どもたちに教えたいと、教室内にビニールで簡易土俵をつくり、相撲クラブをはじめたという。

モンゴル相撲に親しんでいたこともあり、子どもたちはもともと日本の相撲に関心があった。4人の横綱(朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜)への憧れもつよく、ガンホヤグ先生の相撲クラブには、放課後になると男女関係なく生徒たちが集まってくる。先生は日本式の相撲経験がないので、大相撲の生中継をテレビで眺めながら、見よう見まねで教えているそうだ。

さて、リハーサル終了後の自由時間に、モンゴルチームと観光で渋谷に出かけた。モンゴルにはないスターバックスからスクランブル交差点を見下ろして人の多さに固まったり、100円ショップでお母さんへのおみやげ選びにいつまでも悩んだり、飛び乗るタイミングがわからないエスカレーターに緊張したり。素朴で明るい彼らと一緒にすごして、わたしはすっかり魅了されてしまった。

なかでも6年生のソソルフー君には独特の引力があった。なにが起きても動じることなく肝が座って飄々としているが、笑うとおおらか。遊牧民の家で生まれ育ったそうで、「モンゴル人は馬上で育つ」という有名なことばのように、大草原を駆けながら大きくなったのだろう。

翌日の大会本番では、先生も子どもたちも戦士の顔つきに変わっていた。大会はトーナメント形式で進み、ソソルフー君が銅メダルを獲得。途中敗退したビルグーネー君とソミヤバザル君は「はじめて外国人と相撲をして怖かった。くやしい」と泣いた。

そしていま、ソソルフー君は相撲名門校の鳥取市立西中学校に留学し、毎日厳しい練習に明け暮れている。彼は五年生のときに横綱が主催する白鵬杯で優勝し、その実績が認められてスカウトされた。鳥取の生活も2年がすぎ、大嫌いだった野菜もすこしは食べられるようになって、日本語もだいぶ覚えた。からだも以前より大きくなり、今年2月の白鵬杯では中学生の部でベスト16になった。

「遊牧民のお母さんがいつも働いているから、楽をさせてあげたい」と、13歳で留学してきた当時に話していたソソルフー君。けがなどがなければ、大相撲で活躍する彼の姿を見られる日が将来きっとくる。

「月刊望星」2019年4月号掲載