ヒロシマの絵本を作って母国モンゴルの子供たちへ配布する青年

モンゴル人は、なぜヒロシマ・ナガサキのことをよく知っているんだろう? 私がモンゴルの人々と付き合うようになってから不思議に思っていたことの一つです。

私は学生時代、カナダのトロントに1年弱滞在していました。その時通っていた語学学校で、「自分の国のオリジナルな点」をクラスメイトに紹介するという課題があり、ふと原爆について話そうと思いました。世界の他の国にない経験であり、私の祖父母は広島と長崎で入市被爆していたためです。とはいえ、祖父母からその話をそれまで聞いたことがなかったので、祖母へ国際電話をかけました。緊張しつつも話を初めて聞くことができ、翌日クラスで南米やアジアや欧州から来ていた同世代の友人たちに話しました。

するとみんなが驚いて言いました。「核兵器がすでに使用されたなんて知らなかった!」

それを聞いて私も衝撃を受けました。彼らに何か資料を見せたいと思い、トロント市内の大きな図書館に行ったところ、ヒロシマ・ナガサキに関する本は見つからず、日本と海外の温度差を感じました。

モンゴルの国民的歌手オユンナさんの「ヒロシマの折り鶴」

ところがモンゴル人の場合、ちょっと違いました。

これまで出会ったモンゴル人の多くがヒロシマ・ナガサキについてよく知っていて、「日本へ行ったら絶対に原爆ドームを見に行きたい」などと言うのです。後でわかったのは、モンゴルに佐々木貞子さんの生涯を描いた「ヒロシマの少女の折り鶴」という有名な歌があることでした。NHKの第41回紅白歌合戦(1991年)に15歳で出場した歌手オユンナさんが歌い、年代を超えてモンゴル人たちに愛されています。

YouTubeにありました。1分40秒くらいから歌が始まります。

この歌が生まれたのは1977年。『折り鶴は世界にはばたいた』という本によれば、当時モンゴルの草原で、ある日本人女性が折り鶴を作りながら佐々木貞子さんについて語ったそうです。その話に感動したモンゴルの詩人が歌詞を書き、軍楽隊に所属する歌手が曲をつけたのだとか。

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若い世代にヒロシマを伝えたい

その話について調べていたら、広島エリアでもっとも読まれている中国新聞で、次の記事を見つけました。

広島の原爆 絵本で伝える モンゴルのタミルさん 母国の小学校で配布(中国新聞)

この記事によれば、広島に留学経験のあるモンゴルの青年が原爆を伝える絵本を作り、母国の子どもに届けているそうです。すごい若者がいるなあと、掲載されていた写真を見てビックリ! 友人のタミル・ツォルモンバータル君でした。彼は現在モンゴルで、メディアが報じるニュースのファクトチェックを行う仕事や、テレビの討論番組で司会を務めたりもしています。

タミル君が広島へ留学していたのは2008年からの5年間。本当はドイツへ留学する予定だったのに、モンゴルへ彼の母親を訪ねてきた広島在住の女性達に勧められ、行き先がドイツから日本の広島県に変わってしまったのだとか……。全く日本語がわからない状態で来日し、語学学校へ通ってから比治山大学でマスコミ論を学ぶことに。広島で日常を過ごす中で、地元の人々の「平和」に対する意識の高さが印象に残ったと言います。

ある日彼がモンゴルにいる当時7歳の妹と電話で話していたら、妹がオユンナの歌もヒロシマのことも知らなかったので、「たった7歳違うだけなのにヒロシマのことを知らないなんて」とショックを受けたそうです。そしてモンゴルから友人が広島へ遊びに来ることがあれば、必ず一緒に平和記念資料館へ行きました。被爆者の数がどんどん減る中、伝え続けることが大切だと考えるようになったそうです。

「……自分にも何かできないだろうか?」

絵本を母国の小学校へ配ろうと決めた

タミル君は広島の一般財団法人多山報恩会に相談して支援を受け、原爆を伝える絵本を100冊購入。著作権の許諾をとり、自分で訳したモンゴル語の文章をコピーして絵本に貼り、モンゴルの小学校へ送付しました。やがて大学を卒業してモンゴルへ帰国しましたが、どこかで物足りなさを感じていたと言います。

2018年の夏、モンゴルにいたタミル君は「もう一度やってみよう」と奮起。

再び多山報恩会の協力を得て、今度はオリジナルの絵本『忘れないで、ヒロシマのできごとを』を制作しました。挿し絵は広島で知り合った日本人の大学生に描いてもらいました。絵本の主人公はトッコちゃんという女の子。原爆で亡くなった祖母の最期を伝え聞き、自らボランティアガイドになるというストーリーです。平和記念公園で語り部をしていた品川俊子さんから聞いた話をもとに作られました。

「僕が原爆資料館で皮膚が垂れ下がった被爆者の姿を見たときは衝撃で。この絵本でも、子どもが怖がるような場面をあえて隠さず描きました。本当は絵本を 1000冊作り、1枚ずつ折り紙をつけて、読者が折った鶴で千羽鶴を作りたかったんです。でも予算の都合で500冊が現実的な数でした。完成した絵本は車に積んで、ウランバートル市内の小学校や幼稚園の図書館へ届けて回っています」

この絵本を読んだ子ども達は、休み時間に友達同士で「戦争ってこわいね?」「平和ってなんだろう」と話しているのだそうです。それを学校の先生から教えてもらい、タミル君はとても嬉しかったそうです。

ヒロシマとモンゴルの架け橋

彼は大学の卒業制作で、日本人の同級生2人と一緒に、11分の短編ドキュメンタリーも制作しています。モンゴルで4年間抑留され広島へ命からがら帰り、しばらくモンゴルとの縁は切っていたものの、半世紀経ってから広島とモンゴルの交流に力を尽くした小中勝利さんに密着した作品、「小中さんバヤルラー」です(「バヤルラー」は「ありがとう」の意味)。タミル君は「学生時代の作品なので下手で恥ずかしい」と言いますが、とても素敵な短編映像です。

タミル君は小中さんと出会い、こう学んだと言います。

「たった1人の人間でも、国境を越えた架け橋を築くきっかけになることもできる。両国の交流の輪を少しでも広げていくための一員にもなれる」

私も友人に伝えたいです。タミル君、ありがとう。