なぜ日本人が抑留されたのか
8月23日は、歴でいえば「処暑」です。連日の酷暑がやわらぎ始めるこの日、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が開催されました。1945年8月23日、ソ連の最高司令官スターリンが「50万人の日本人捕虜を連行して強制労働させる」という極秘指令を出したことから、「抑留の日」となったそうです。
九段下にある戦没者墓苑に元抑留者やご遺族など約60人が集まり、蝉時雨のなかで順番に献花をしました。ちなみに昨年は約100人が参列しました。
生存する元抑留者の平均年齢は今年で98歳。つまり抑留されたときはまだ20代の若者でした。彼らはどうしてソ連とモンゴルで抑留されることになったのでしょうか?
トーキョー・ダモイ?
第二次世界大戦末期の1945年8月、日本の敗戦は決定的でした。そんな日本へソ連が8月9日、宣戦布告をしました。「日ソ中立条約」を無視して、満州・朝鮮・樺太・千島列島へ軍事侵攻したのです。翌10日、ソ連の衛星国だったモンゴル人民共和国も日本へ宣戦布告しました。
8月6日、9日の原爆投下を経て、日本は14日にポツダム宣言を受託し、15日に天皇による玉音放送が流れ、戦争が終わりました。マッカーサー元帥は戦闘行動の停止を命じ、海の向こうの大陸にいた日本軍は武装解除して帰国の時を待っていました。ポツダム宣言では「武装解除した日本兵の本国帰還を保証する」と定めていたのです。
満州にいた日本軍たちは、ある日ソ連兵士から「トーキョー・ダモイ」と告げられ、喜んで列車に乗り込んだそうです。ダモイとは「帰す」という意味です。
しかし列車は、日本へ帰る港のある東の方角ではなく、北へ北へと進んでいきました。着いたのはソ連領の収容所。ここから元日本兵たちの過酷な強制労働の日々が始まりました。中には民間人や女性も含まれていました。
こうして各地から運ばれ、抑留された日本人はシベリアに約60万人、モンゴルに約1万2千人いました。このうちシベリアで約6万人、モンゴルで約1600人が、祖国の地を踏むことなく飢えや病気などで亡くなりました。
スターリンはなぜ日本人捕虜を拉致した?
ソ連は対日参戦した時点でポツダム宣言に参加したことになり、この抑留はポツダム宣言違反の行動です。そうまでしてなぜスターリンは、日本人を拉致したかったのでしょうか?
主な理由は、ソ連の労働力不足を補うためでした。戦争で国が疲弊したソ連は、経済を立て直すため、体力のある若者を必要としていました。一説によれば、スターリンは北海道の半分を領土にしようと狙っていて、それが実現したら北海道にいる日本人を労働力としてソ連へ連れていきたいと考えていました。
しかしアメリカのトルーマン大統領が猛反対したので、スターリンは断念することに。その代わり、中国東北部にいた日本人を連行し、地下資源の採掘や建設など重労働にあたらせようとしました。
モンゴルも若い労働力がほしかった
モンゴルもソ連に対して2万人の日本人捕虜を要求しましたが、ソ連と違って抑留者を受け入れるという体験が初めてだったので、収容所や医療体制が整っていません。そんな現場へ結局1万2千人がモンゴルへ送られて、2年間の労働に従事しました。当時モンゴルの人口は約76万人。独立を認められたばかりで、首都となるウランバートルの街を急いで造らないといけなかったのですが、働き手が足りませんでした。
なぜならこれより数年前のノモンハン事件の頃、モンゴルの知識人や僧侶など2万人以上がスターリンによって粛清され、国を率いるはずだった優秀な若者たちが一気に失われてしまったからです。彼らの多くは「日本のスパイ」という名目の罪で次々捕らえられたのですが、濡れ衣でした。
こうなった原因は日本にもある
そのような粛清が行われたのには、日本にも原因があると言えます。日本が中国東北部に満州国を建設したことでソ連が警戒し、モンゴルを保護国化して監視を強めていたためです。現在モンゴルはアジア屈指の親日国として知られていますが、少し歴史を遡れば、日本との間にこうした複雑な闇がありました。
日本人旅行者はモンゴルへ行くと、おそらく必ずスフバータル広場を訪れると思います。この広場を取り囲むように並ぶ政府庁舎や国立オペラ劇場などの重要建築物は、かつての日本人抑留者たちが辛い思いをしながら建てたものです。
衣服や食料が乏しい環境で、マイナス30度以下の寒さに耐えながら、抑留者たちは勤勉に働いて素晴らしい建築物を数々残したのでした。「日本人が造った建築物は未だに頑丈で壊れない、すごいよ」と、モンゴル人から賞賛されています。
シベリア・モンゴル抑留に関する資料
以下は、昨年秋に元在モンゴル日本大使の花田麿公さんにインタビューさせていただいた記事です。日本・モンゴルの関係改善に長年尽くしてこられている花田さんは、抑留者の墓参問題にも深く関わられています。「抑留問題はまだ終わっていない」とおっしゃる花田さんの貴重なお話です。
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