ノモンハン旅8/「ノモンハン事件」の現場には何もない、記念碑がいくつも増えていくだけ

前回書いたチョイバルサン市からノモンハンの現場までは、300kmくらい。モンゴル国内でもっとも平らな草原が広がるのがこの東部地域で、遮る山はほとんどなく、ひたすら平原と空が広がっていました。太平洋の湿気が来るため、草も豊かです。

突然あらわれた巨大な神様、「イフ・ブルハント」。山の斜面に埋め込まれた石の観音のまわりに、12の仏舎利塔と20の小さな像がありました。全体が四角い枠で囲まれていて90メートルあるそうです。

入り口から中へ入ってみます。

このとき、シャーマンの方々もここを訪れて祈りを捧げていました。

シャーマンから大地のパワーを授けていただきました。

このシャーマンの方々は、モンゴル国全体の平和と安定を祈りながら、モンゴルを3周回って旅しているのだと言いました。モンゴルの儀式では「3」という数がよく登場しますが、なぜ「3」なのかいまだにわからず……。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

シャーマンたちは、天に向かって祈り続けます。

これらの像がつくられたのは19世紀半ば。当時この地域は雪害や干ばつで家畜を失い、作物も獲れなくなり、生活が非常に苦しくなりました。そこで地域の長が民から寄付を集めて、180人もの職人の手で像を建設したのだそうです。

建設した後も自然災害によって壊れたり、20世紀半ばには人民改革の影響で人の手で壊すことになったりと、幾度もトラブルに見舞われました。しかし現代、こうして復元され、多くの人々を魅了しています。

国営放送MNBのディレクターであるビレクテーは精神世界に関心があり、ここに来るのが夢だったと心底感激していました。

いよいよノモンハンの草原へ

再びバスに乗って出発。ウランバートルを出て5日目、いよいよノモンハン事件が繰り広げられた草原に近づきます。

そしてついにノモンハン事件(ハルハ河戦争)が起きたという現場に着いたのですが、草原以外にとにかく何もない……。この日は大雨が降っていて空もグレー。寂しい光景でした。8月だというのに厚手のセーターを着てもなお寒く、こんな場所で若い日本の青年たちが希望のない戦争に身を投じていたのかと思うと、切なくなりました。温かいご飯が食べたかっただろう、水が存分に飲みたかっただろう、虫のいないところでのびのび眠りたかっただろう、何より海の向こうにいる家族に一目会いたかっただろうな……。

そんな大草原に、ぽつんと石碑が建っていて、遠くからでも目立って見えました。これは2009年に建てられた、モンゴル国の英雄であるカザフ人のエケを讃える石碑。2009年はハルハ河戦争から70周年にあたる記念年で、エケの出身地であるバヤンウルギー県がこの地に建てたそうです。

石碑の記述については、ボルジギン・フスレ先生や田中克彦先生方が共同で執筆された、「記念碑に記録された日本・モンゴル関係史についての研究」を参考にさせていただきました。

これは何なのかわかりません。

ソ連軍が1939年のハルハ河戦争の停戦直後につくったという、第11戦車旅団長のM.P.ヤコヴレフ記念碑。彼が乗っていた戦車がそのまま置かれています。この場をモンゴル人と日本人とロシア人とブリヤート人が一緒に訪れたことは、なんとも感慨深いものがありました。80年前は敵同士だった我々、いまこうして肩を組んで笑っています。

この戦闘において、最初に日本軍が爆弾を投下した場所に建てられたという石碑。日本人として複雑な気持ちに。

戦死したソ連軍将兵たちを慰霊する「90勇士の記念碑」。1959年(20周年)、64年(25周年)、69年(30周年)、89年(50周年)にたびたび増築されているそうです。

ソ連軍のシンボル、赤い星がいたるところに。

このそばにある小さなハルハ河村を訪れました。

食堂でお昼ご飯です。

ゴリヤーシという羊肉の煮込み料理。

食堂の隣にある屋外キッチン。

街は舗装されていなくて、インフラもほとんどありません。この年の夏、ハルハ河戦争大勝利の80周年を記念して、プーチン大統領がこの古い村を大改修するための費用をバトトルガ大統領へプレゼントしたと話題になっていました。村のそばでは工事が行われており、学校、公共施設などを含む新しいハルハ河村が建設されていました。

こうしてハルハ河戦争の○周年が来るたび、ロシアとモンゴルは大きな石碑を新たに建設したり、記念式典を行って、過去の勝利を讃え、互いの絆を確かめあっているのだと今回初めて知りました。

この箱の中には、穴を掘っただけの女性用トイレが3つ並んでいます。ドアは壊れています。

この記事はまだ書き足しますが、ちょっと休憩……!!