前回書いたチョイバルサン市からノモンハン事件の現場(ハルハ河)まで、300kmくらいあります。モンゴル国内でもっとも平らな草原が広がるこの東部地域は遮る山がなく、ひたすら平原と空が広がっています。太平洋の湿気が来るため、草も豊かです。
ウランバートル出発から4日目、走り続けたバスは深夜にボイル湖へ到着。湖沿いに建つコテージに泊まり、遅い夕食に。
1人ずつ、遅ればせながら自己紹介をすることに。今立っているのはモンゴル人写真家のバドマーさん。ロシア語と英語を話し、私たち外国人を一生懸命サポートしてくれるので心強かったです。
新華社通信のウランバートル支部長。内モンゴル出身で中国語とモンゴル語を話す、優しい方です。
長旅の疲れを癒してくれる羊肉のスープ。
翌朝は曇り空。昨晩はものすごく冷え込み、風も強かったです。しかしロシア人写真家のサーシャとウラジーミルは深夜も砂浜で撮影していたそうで、プロ意識を感じました。モンゴル人通訳者とMNB(モンゴル国営テレビ)クルーの若者たちも、缶ビールを片手に砂浜にあるブランコに坐って人生を語り合っていたとか。青春!
湖はまるで海のよう。モンゴルでこんな景色を見られるのは貴重です。
韓国人女性ジャーナリストのヒースーと私が同部屋になりました。部屋の電気をつけると大きな蛾や蜘蛛がたくさん入ってきます。
早朝に旅支度。
トルコ人のエミンは、鳥を愛し鳥に愛されるバード・フォトグラファー。昨日、車道で翼を怪我した鳥を見つけた彼は、鳥を大事に箱に入れて保護し、コテージで治療をしました。傷口を消毒して、折れたところをテーピングで巻いています。
鳥を発見した瞬間。
鳥はコテージで働くマリアというロシア人女性がケアしてくれることになりました。
湖をバックに皆で記念撮影中。撮っているのは、ボイル湖付近に住む写真家の皆さんです。今回驚いたのですが、モンゴルには写真家が多く、写真家同士の仲が良いです。
そろそろ行くよ〜!
「旅立ちの前にウォッカを飲むと酔わないよ!」と言われて一杯飲みました。
中央に立つのが著名な写真家のバトトルガさん。大きな体の彼はウランバートルにアトリエを持ち、日本製の中古カメラをたくさんコレクションして、写真を心から愛していることが伝わってきました。しかし昨年、体調を崩されて天国へ行かれました。コロナが終わったらお会いしたいと思っていたので残念です。
車は走り出し、
変わらない草原の景色のなか、突然あらわれた巨大な神様「イフ・ブルハント」。山の斜面に埋め込まれた石の観音のまわりに、12の仏舎利塔と20の小さな像が。全体が四角い枠で囲まれ、全長90メートルだそうです。
枠の中へ。
偶然にもシャーマンの方々がここを訪れていて、祈りを捧げていました。
シャーマンから大地のパワーを授けていただきました。
このシャーマンの方々は、モンゴル国全体の平和と安定を祈りながら、モンゴルを3周回って旅しているのだと言いました。モンゴルの儀式では「3」という数がよく登場しますが、なぜ「3」なのかいまだにわからず……。
天に向かって祈り続けるシャーマンたち。
これらの像がつくられたのは19世紀半ば。当時この地域は雪害や干ばつで家畜を失い、作物も獲れなくなり、生活が非常に苦しくなりました。そこで地域の長が民から寄付を集めて、180人もの職人の手で像を建設したのだそうです。
建設した後も自然災害によって壊れたり、20世紀半ばには人民改革の影響で人の手で壊すことになったりと、幾度もトラブルに見舞われました。しかし現代、こうして復元され、多くの人々を魅了しています。
国営放送MNBのディレクターであるビレクテーは精神世界に関心があり、ここに来るのが夢だったと感激していました。
いよいよノモンハンの草原へ
再びバスに乗って出発。ウランバートルを出て5日目、いよいよノモンハン事件が繰り広げられた草原に到着……!
ひと言で言えば、草原と蛇行したハルハ河以外に何もなかったです。
この日は大雨が降っていて空もグレー。寂しい光景でした。8月だというのに厚手のセーターを着てもなお寒く、こんな場所で若い日本の青年たちが希望のない戦争に身を投じていたのかと思うと、切なくなりました。温かいご飯が食べたかっただろう、水が存分に飲みたかっただろう、虫のいないところでゆっくり眠りたかっただろう、何より海の向こうにいる家族に一目会いたかっただろう……。
そんな大草原にぽつんと石碑が建っていて、遠くからでも目立ちました。上は2009年に建てられた、モンゴル国の英雄であるカザフ人のエケを讃える石碑。2009年はハルハ河戦争から70周年にあたる記念年で、エケの出身地であるバヤンウルギー県がこの地に建てたそうです。
石碑の記述については、ボルジギン・フスレ先生や田中克彦先生方が共同で執筆された、「記念碑に記録された日本・モンゴル関係史についての研究」を参考にさせていただきました。
これは何なのかわかりません。
ソ連軍が1939年のハルハ河戦争の停戦直後につくったという、第11戦車旅団長のM.P.ヤコヴレフ記念碑。彼が乗っていた戦車がそのまま置かれています。この場をモンゴル人と日本人とロシア人とブリヤート人が一緒に訪れて、感慨深いものがありました。80年前は敵同士だった我々、いまこうして肩を組んで笑っています。
この戦闘において、最初に日本軍が爆弾を投下した場所に建てられたという石碑。日本人として複雑な気持ちに。
戦死したソ連軍将兵たちを慰霊する「90勇士の記念碑」。1959年(20周年)、64年(25周年)、69年(30周年)、89年(50周年)にたびたび増築されているそうです。
ソ連軍のシンボル、赤い星がいたるところに。
このそばにある小さなハルハ河村を訪れました。
食堂でお昼ご飯です。
ゴリヤーシという羊肉の煮込み料理。
食堂の隣にある屋外キッチン。
街は舗装されていなくて、インフラもほとんどありません。この年の夏、ハルハ河戦争大勝利の80周年を記念して、プーチン大統領がこの古い村を大改修するための費用をバトトルガ大統領へプレゼントしたと話題になっていました。村のそばでは工事が行われており、学校、公共施設などを含む新しいハルハ河村が建設されていました。
こうしてハルハ河戦争の○周年が来るたび、ロシアとモンゴルは大きな石碑を新たに建設したり、記念式典を行って、過去の勝利を讃え、互いの絆を確かめあっているのだと今回初めて知りました。
この箱の中には、穴を掘っただけの女性用トイレが3つ並んでいます。ドアは壊れています。
このあとノモンハン事件(ハルハ河戦争)の戦勝記念博物館へ行きました。以下の記事へ続きます。