花田麿公元大使がモンゴルを語る

「Mongolian Economy 日本モンゴル外交樹立45周年記念号」(2017年10月発行)に掲載

日本とモンゴルの国交樹立を語る上で欠かせない人物の一人が、花田麿公(まろひと)元駐モンゴル大使(1999〜2002年在任)です。花田元大使は東京外国語大学モンゴル語学科を卒業後、1963年に特別調査員として外務省に入り、翌年任官。1965年に、当時まだ国交の存在しないモンゴルを初訪問しました。それから7年後、花田氏を含む関係者たちの尽力が実り、ついに二つの国の国交が結ばれました。現在は日本で暮らす花田元大使にお話を伺いました。

Q:2017年で国交樹立45周年を迎えました。今のお気持ちをお聞かせください。

45年というのは半世紀にも満たず、両国の関係がまだ新しいことを実感します。

1960年代、日本には東側のモンゴルの情報は何もありませんでした。外務省での私の仕事の一つは、モンゴルから取り寄せた雑誌や新聞を読み、モンゴル月報を作ること。当時の西側諸国は、私が作成した月報を通じてモンゴルの情報を得ていました。

1965年に「女性の公的生活への参加」という国連エカフェ・セミナーがモンゴルで開催され、私を含む3名が日本から参加しました。我々には外交関係樹立の交渉権限はなかったのですが、モンゴル側と接触し、日本と外交樹立を望む意思を確認しました。さらに我々は戦後抑留者の墓地墓参を許され、両国の関係が好転していくことを予感しました。1966年に本格的な交渉が始まり、1972年2月24日外交関係が樹立されました。


1965年、国連エカフェ人権セミナーにて。左が花田氏

外交樹立の障害になるのは、過去の戦争の賠償問題です。1077年に経済協力でゴビカシミヤ工場を作ったことで最終的な決着に至りましたが、若干のわだかまりが国民の間に残っていました。また、モンゴルが社会主義国であることなどから、両国関係は有効ではあるものの、不活発でした。

しかしながら、日本から1989年に宇野宗祐外務大臣が、1991年に海部俊樹総理大臣がモンゴルを訪れて謝罪し、戦後処理をきちんと行ったことで、両国関係は活発となり、今日の友好関係につながっていると感じています。


1991年、日本の総理としてモンゴルを初訪問した海部総理(右下)と花田氏(左下)

Q:モンゴルと日本が良好な関係を結ぶことは、なぜ重要なのでしょうか。

モンゴルにとって一番重要なのは、やはりロシアと中国です。しかし、ある一国とだけ仲良くするという時代はもう過ぎました。

私自身は、モンゴルは北東アジアの一員だと考えています。他に内モンゴル、中国東北部3省、ロシア極東部と東シベリア、南北朝鮮と日本が含まれます。この地域でゆるやかな北東アジア経済圏を形成し、交通・エネルギー・通信のネットワークを作って、互いに経済発展をもたらせば良いのではないか、というのが私の意見です。これからは単に日本モンゴル二国だけでなく、このような広い範囲で考える必要があります。

この地域に欠けているのは輸送ルートです。北東アジアの活性化に貢献するため、鉄道と港湾が一体化した物流ネットワークを築くことを目指し、私は2004年にNPO法人北東アジア輸送回廊ネットワーク(NEANET)を設立して、専門家たちと調査研究をしてきました。

Q:モンゴルにとっても輸送ルートの開拓は重要な課題ですか?

モンゴルの弱みは外港がないことです。輸送するには中国とロシアに協力を仰がないといけないので、この二国とは絶対に良い関係を保たなければなりません。しかし自国の利益を失ってまでやるべきではない。そういう時は自国だけで解決しようとせず、北東アジアの枠組みの中で日本も韓国も巻きこんで相談すればいいのです。

北東アジアの中でモンゴルは孤立しています。重要問題がある時に日本・中国・韓国は集まりますが、モンゴルは集まりません。日本・中国・韓国は話し合いにモンゴルをもっと呼ぶべきだし、モンゴルも行くべきです。そうしてさまざまな国際問題にコミットすると、国際社会から重要視されます。インドが弱い時にネルー首相は一生懸命世界へ発信しました。モンゴルにも魅力あるリーダーが現れ、世界へもっと発信すべきです。

Q:魅力あるリーダー像とは? 世界へ何を発信すべきでしょうか?

リーダーにふさわしいのは、人目を驚かせることでなく人が納得する合理的な行動をとり、堅実な政策を実行できる人です。
発信すべき内容はまず、モンゴルが非核地帯であること。被爆国である日本も、モンゴルと共に非核地帯になるべきだと思います。

それから、モンゴルには先祖から引き継いできた遊牧文化があり、豊かな地下資源に恵まれていること。ですからその文化の中で、近代的生活ができるような改革をすることが望ましいと思います。

私は大使在任中、エネルギー確保のため太陽電池を牧民世帯に提供し、300ソム(村)及び全アイマグ(県)の中心地に通信ネットワークを作るプロジェクトをODAで行ないました。そうすれば牧民がウランバートルに移住しなくても生活できるからです。そういうことのために、科学やテクノロジーやお金を使うのです。

例えば、田舎の子供たちが寄宿舎に入らなくても、自宅で勉強できるようになればいいと思います。地方に小規模の学校を増やし、インターネットで授業を配信すれば、これは可能です。長期的に見て、未来のモンゴルの発展につながり、モンゴル人の生活が成り立つために必要なプロジェクトを、日本がもっと応援していくことを望んでいます。