取り壊しが決まったと聞いて、ぜひオルトツァガーンを見に行きたいと思っていました。しかし1月下旬に訪れたら(解体工事はとっくに終わって)もう何もなく、跡地には車が駐車されていました。
本当にここにオルトツァガーンがあったのかと疑いたくなるくらいでしたが、道路を挟んだ向かい側には変わらず「金を買います」という看板がずらり並んでいて、金属加工の職人が多く働いていたオルトツァガーンは確かにここにあったのだと感じることができました。
ちなみにオルトツァガーンというのは、そのまま直訳すると「長い白」。デパートから北へ数分歩いたところにあった、東西に伸びる白っぽい建物の群れのことです。
かつてはモンゴルのみならず外国企業や商店が取引を行う場所として栄え、イフ・フレー、ニースレル・フレー、社会主義それぞれの時代に建てられた建物があって、建築学の観点から見ても貴重な建造物だったとのこと。しかしその後は金属関係の業者が多く残り、現在に至っていたそうです。
壊すことになった主な理由は、老朽化が進み危険だからとか、金属加工業者が違法な化学物質を使っているからとか、中に入っている業者が長く家賃を払わなかったとか、色々な説を聞きます。市民にもアンケートをとった結果、壊した方が良いという結論になったようです。
ここで働いていた人々はどうなったのか? 実は私の知り合いの20代半ばの青年が、オルトツァガーンでジュエリー加工職人として何年も働いていました。彼が作った銀色のブレスレットを私も一つ持っています。
オルトツァガーンが壊されたことで青年が働いていた金属加工の職場も消え、自動的に解雇となったそうです。専門技術があるなら自分で開業できないのかと彼に尋ねたら、「金属の加工をするためには専門の大型機械が必要で、個人ではなかなか入手できない。騒音も大きいので置く場所も限られて難しい」とのこと。
無職になった彼はこの1ヶ月間かなり落ち込んでしまい、突然SNSを閉じて「一人になりたい、遠くに行く」と言い残したまま消えてしまいました。
どこか田舎へ旅に出たのかなと思っていたら、後日姿を現しました。「仕事ができなくなって自分が無価値に感じ、すごくエモになってた(аймаар эморсон)。親からは韓国へ出稼ぎに行ってこいと言われている」と、今も進路に悩んでいます。
2013年に訪れた幻の北朝鮮レストラン
オルトツァガーンといえば、個人的に忘れられないのが2013年夏に訪れた北朝鮮レストランです。この近辺を歩いていたときにたまたま看板を見かけて入りました。
1人で入り、薄暗い店内には他に誰もいなくてかなり緊張しました。壁には虎や白頭山の絵があり、じっと見られている気分に。店員さんは女性2人。白いブラウスと黒いタイトスカートを履いて、黒い髪の毛を後ろで1本に縛って、笑顔はなく氷のように冷たい感じがしました。
当時のメニュー。緊張しながらこっそり撮影したのでうまく撮れていません。冷麺をオーダーしました。
座っていると、店内に設置されたカラオケからいきなり軍歌が流れ出しました。北朝鮮の軍事パレードの映像付きです。
麺が黒く、味はさっぱり。値段も高すぎず低すぎず、だったと思います。翌夏また行ってみようとオルトツァガーンを訪れると、この北朝鮮レストランは跡形もなく消えていました。