10月27日夜、地平線会議でモンゴルの話をさせていただきます。地平線会議は冒険家、探検家、ジャーナリスト、写真家、バックパッカーなど旅好きのネットワークで、なんと1979年8月から毎月欠かさず報告会を行なってきています。
地平線報告会で自分がお話しさせていただくのは2回目で、前回は2017年2月24日。このときは前半は自分が、後半は花田麿公元在モンゴル日本大使とジャーナリストの江本嘉伸さんと一緒にお話させていただきました(とは言えこのお二人を前に自分が言えることなんてほぼなく、貴重なお話を聞いているばかりだった記憶があります)。この日が偶然にも日本・モンゴルの外交樹立記念日だったというのは、当日花田さんから伺って知りました。
地平線会議ではこれまでのべ498人もの報告者が発表をしたことになりますが、私が大きな影響を受けた探検家・関野吉晴さんのように何度も登壇されている方もいらっしゃいます。ちなみに先月の報告者は極地冒険家の荻田泰永さん、先々月はノンフィクション作家の高野秀行さんと高野さんが「僕にとって最初で最後の師匠のような人」と呼ぶ山田高司さんでした。
私が心から尊敬してやまない花田さんと出会ったのも地平線会議がきっかけでした。花田さんは佇まいからして独特の迫力があり、一見海のように穏やかな方ですが、時折眼光がギラリと鋭く光るのでドキリとします。大陸の手強い人たちと身一つで向き合い、時に真っ向から喧嘩上等でぶつかりあって、(当時まだ敵国だった)モンゴルとの外交交渉の場では互いにウォッカの瓶を空けながら話し合い、抑留者の墓参実現にも粘り強く尽力され、日本とモンゴルの真の友好実現のため長年全力投球してこられました。「外交は人と人とのつきあいから」という花田さんの素晴らしい言葉は、私にとってずっと大事な教訓になっています。今週の報告会に花田さんはお越しになりませんが、後で良いご報告ができるように、花田さんへの感謝も込めてお話ししたいと思っています。
そして私が大学生の頃からお世話になっている江本さんもモンゴルとの縁が深い方で、チンギスハンの陵墓の場所を探す「ゴルバンゴル・プロジェクト」以来何十回もモンゴルへ渡航されています(このプロジェクトは読売新聞とサントリーがスポンサーでした。当時の読売新聞では江本さんが現地の草原から書いた記事と写真が1面に大々的に掲載されており、今では信じられないことです。ちなみに陵墓の場所を探すというのは、実際に大地を掘って傷つけるわけではなく、機械を用いて行なったそうです)。
地平線会議はモンゴルとの関わりが色々と深いです。。。