ロシアの影

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<記事の一部を掲載しています>

 初めてハルハ河戦争(ノモンハン事件)の現場へ行った。そこには、ゆるやかに蛇行する細長い河と草原のほかに何もなかった。モンゴルの東の果てに位置し、街からは遠く離れ、かつての壮絶な戦闘が嘘のように静かだった。風の音しか聞こえない。

 大平原なので、人工物があると遠くからでも目立つ。車で移動しながら、たびたびコンクリートの塊を発見した。戦争の犠牲になったソ連兵を追悼するための記念碑だった。 「M.P.ヤコヴレフ記念碑」には、第11戦車旅団長ヤコヴレフが乗っていた戦車が置かれている。停戦直後の1939年、彼が戦死した場所にソ連軍がこの碑をつくったという。

「90人のソ連将兵の記念碑」には、いくつもの墓碑と背の高いモニュメントがあった。ここに眠る90人は、攻めこんでくる日本軍を打破するため突撃志願して戦死した。この碑は戦後15周年に建てられた。

「ソ連空軍戦士記念碑」は戦後25周年に、「ハーナ記念碑」と「イルデン記念碑」は30周年に、高さ54メートルもある「ハルハ河戦勝記念塔」は45周年に……と、節目の年を迎えるたびに勝利の記憶を伝える記念碑が増えつづけている。

 姿かたちはちがうものの、どれも共通してソ連兵の功績をたたえている。あるいはソ連兵とモンゴル兵の絆をアピールしている。

 それとは反対に、日本は敵であり侵略者であり批判対象でしかない。日本の戦闘機から爆弾が落とされたという地点には、爆弾のレプリカの記念碑があった。

 ソ連軍は停戦直後から、モンゴルで精力的に戦勝記念碑を建てていった。戦後15周年が過ぎると、モンゴル側も記念碑をつくるようになった。

 首都ウランバートルには、街全体を一望できるザイサン丘という観光スポットがある。司馬遼太郎も1973年の『モンゴル紀行』でまずここを訪れていた。

 600段ほどの急な階段をのぼると、頂上には高さ27メートルのソ連兵の彫像が立っている。その周囲を円形のモザイク壁画がかこみ、ソ連兵とモンゴル兵が日章旗とナチスドイツの旗を踏みつける場面が描かれている。

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⬇️全文(残り約1000文字)は月刊望星2019年11月号でご覧ください。

東海教育研究所 http://www.tokaiedu.co.jp/bosei/koudoku.html